荷物を届けた先で、ありがとうの一言をもらえないまま次の現場へ向かう。そんな日の方が、正直に言うと多かったです。
Thank you for reading this post, don't forget to subscribe!36年間トラックに乗ってきて、ずっと心のどこかで引っかかっていた問いがあります。見返りを求めずに働くというのは、本当に正しいことなのか。それとも、ただ都合よく使われているだけなのか。今日はこの問いについて、実際の現場経験と、二つの作品を通して考えてみたいと思います。
宮沢賢治が生涯をかけて届けたもの
宮沢賢治という人がいます。生前、自分の作品はほとんど評価されませんでした。それでも彼は、貧しい農家を一軒一軒回り、雨の日も雪の日も、肥料の相談に乗り続けました。有名な詩「雨ニモマケズ」に描かれているのは、まさにそうした、見返りを期待しない生き方そのものです。
賢治にとって、農民のために歩き続けることは、評価されるためではありませんでした。ただ、目の前の誰かの暮らしが少しでも良くなること。それだけが、彼を動かしていたのだと思います。彼の作品の多くが世に広く知られるようになったのは、亡くなった後のことでした。
『おおかみこどもの雨と雪』の花が教えてくれること
細田守監督の映画『おおかみこどもの雨と雪』は、実は主人公である花自身の語りではありません。物語を語っているのは、花の娘である雪です。大人になった雪が、母・花の生き方を振り返るという形で、この物語は進んでいきます。
序章で描かれるのは、大学時代の花です。ある人物への小さな親切がきっかけとなり、そこから恋愛関係へと発展していきます。小さな親切が先にあり、そこから関係が少しずつ育っていくという流れは、実業家・丸尾孝俊氏が説く「与えるが先」という考え方とも重なります。見返りを期待して与えたわけではないのに、そこから何かが育っていく。
その相手は、人間ではなく狼男でした。二人の間に生まれたのが、雪と雨です。狼男が、花と子どもたちのために狩りをしていたのかどうかは、はっきりとは描かれません。しかし彼は、ある日事故でこの世を去ってしまいます。
残された花は、都会では人間でも狼でもない子どもたちを育てることに限界を感じ、田舎へと移り住みます。そこから、来る日も来る日も、子どもたちのために黙々と働き続ける日々が始まります。
その姿を見ていたのが、近所に住む偏屈な老人です。口は悪く、決して優しい言葉をかけてくれるわけではありません。おそらく老人にとっても、過疎の進む土地に若い家族が越してきたことは、ありがたいことだったのでしょう。それでも表現は不器用なままでした。それでも花は、老人からの手助けに対して、はっきりと感謝を示します。
ここにあるのは、単純な「見返りを求めない」だけの話ではありません。花から老人へ、そして老人から花へ。感謝が感謝で返されていく、静かなやり取りです。見返りを期待せずに与えたことが、巡り巡って、感謝という形で戻ってくる。派手な奇跡は起きませんが、花はそうやって、毎日を淡々と積み重ねていきます。
36年トラックに乗ってきて気づいたこと
私は現在、物流の現場に36年以上携わってきました。運行管理者資格者証や大型免許を持ち、10年以上無事故無違反で走り続けた時期もあります。その経験の中で、何度も「見返りのなさ」に直面してきました。
荷物を届けた先で、感謝の言葉をもらえないことの方が、実は多いです。忙しい担当者にとって、時間通り荷物が届くのは当たり前のこと。ドライバーの存在は、うまくいっている時ほど意識されません。荷待ちの時間に無理を言われても、こちらから強く主張できないことも少なくありませんでした。
ある冬の日、後輩ドライバーが体調を崩し、代わりに彼の配送ルートを回ったことがあります。誰かに褒められることも、給料が上がることもありませんでした。それでも、届けた先で「今日も時間通りだね」とだけ言われたとき、それで十分だと思えたのです。最初はそれが、正直つらいと感じていました。ですが、あるとき気づいたのです。届けた先のどこかで、誰かの一日が少しだけ楽になっている。それを直接見ることはできなくても、確かに起きている。そう思えるようになってから、仕事の見え方が変わりました。
見返りを求めない働き方と「思いやり搾取」の違い
ただし、これは注意が必要な話でもあります。見返りを求めないことと、都合よく利用され続けることは、似ているようでまったく違います。いわゆる「思いやり搾取」という状態です。
その境界線は、自分の中に納得があるかどうかだと、私は考えています。誰かに強制されて我慢しているなら、それは搾取です。心も体もすり減り、続けるほど苦しくなっていくなら、それは見直すべきサインです。しかし、自分の意志で、見返りを期待せずにやると決めているなら、それは搾取ではなく、その人自身の生き方の選択です。
宮沢賢治も、花も、誰かに強制されて動いていたわけではありません。自分の中に、そうしたいという意志があったからこそ、続けられたのだと思います。この違いを自分自身に問い直すことが、燃え尽きずに働き続けるための第一歩になります。
見返りを期待しなくていい、という働き方の楽さ
見返りを求めない働き方には、実はもう一つ良い面があります。それは、期待した反応が返ってこなかったときに、必要以上に傷つかなくて済むということです。
感謝されることを前提に働いていると、感謝されなかった瞬間に、心がすり減っていきます。ですが、最初から見返りを期待していなければ、感謝の言葉は「もらえたら嬉しいおまけ」になります。これは、長く現場で働き続けるための、ひとつの防御にもなります。
実際、見返りを期待して裏切られたときの感情は、想像以上に激しいものです。私自身、期待通りの反応が返ってこなかった時に、無性に腹が立った経験が何度もあります。おそらく、あなたにも似た経験があるのではないでしょうか。人間は、一度「こうなるはずだ」という固定観念に当てはめてしまうと、その通りにならなかっただけで、必要以上に怒りを感じてしまう生き物なのだと思います。
そして、その怒りを飲み込んで我慢し続けることは、心にも体にも良くありません。残りの人生が明日で終わるのか、まだまだ長く続くのか、それは誰にも分かりません。だからこそ、見返りや固定観念に対する反応をあらかじめ期待しないでおくことは、必要以上の怒りを抱え込まずに済む、シンプルで有効な生き方だと思うのです。
よくある質問
Q. 見返りを求めない働き方は、結局「損」なのでしょうか。
A. 短期的には損に見えることがあります。ですが、燃え尽きにくく、長く続けられるという意味では、必ずしも損とは言えません。大切なのは、それが自分の意志による選択かどうかです。「損して徳取れ」という言葉がよく使われますが、正しくは「損して得取れ」です。見返りを求めない働き方も、損と考えるより、他人への「投資」だと捉える方がしっくりきます。投資である以上、確実に返ってくる保証はありません。ただ、それはあくまで自分の意志で始めたことなので、見込みがないと感じれば「損切り」をしてもよいのです。
Q. 見返りを求めない働き方と、思いやり搾取はどう見分けますか。
A. 続けるほど心身がすり減り、苦しくなっていくなら搾取のサインです。自分の意志で納得して続けられているかどうかが、見分けるポイントになります。
あなたが今、見返りのないまま続けていることはありますか。それは本当に、あなたの意志による選択でしょうか。一度、立ち止まって考えてみる価値はあると思います。

